誰かの為になることならば
少しずつ他の人にやってもらっていた仕事を自分でやるようにしている。
いろんなことを全体としてみることは本来苦手。
けれど、なぜか全体の流れを詳細を含めて理解することを求められる。
苦手な伝票処理、消費税もあるし何度計算し直しても不安になる。
作業の片手間にやっていたデータ入力も範囲が広がっている。
それでもまだパソコンに苦手意識がないことが救いだ。
お客さんとのやり取りも範囲が広がっている。
10年とか5年とか、長い間願ってきたことだった。
責任のある仕事をする。
自分で考えて進めることができる仕事。
自分の得意なことを仕事にする。
人に伝えていくこと。
新しいことを覚えていくこと。
たくさんの人と関わっていくこと。
それが誰かの為になることならば素敵だ。
言葉にするといろんな角度から見て今やっていることは願ったことの大半を網羅している。
なのに毎日帰りの車の中で凹む。
出来なかったことを振り返り、
対応を間違ったのではないかと自己嫌悪に陥る。
誰かの為になんて全くなっていないように思える。
それでも3年過ぎて、苦手な電話対応も何とか出来るようになった。
考えなくてもその時に必要な言葉が出る。
そんなふうに出来ることを数え始めたら横やりが入る。
「おそらく大きな会社では新入社員でも出来るくらいの範囲だろうけどね」って手厳しい。
一気に下降する。
いいじゃん!出来ているんだからって思えたらいいのだけれど、
直ぐに「ダメだね!」って言葉が心の中に浮かんできて刃物みたいにカチコチになる。
そんなに責めてばかりいる。
自分への暴言が続く、きっと気づいていない時も続いているのだろう。
誰かに対して嫌だなと思ったことは半日もしないうちに薄れてくる。
夕方になって「あのことだけどごめんなさい」と言われて何のことだか分からないくらいに忘れる。
人に対する嫌なことよりも、自分に対する嫌悪感の方が遥かに上回っているってことだ。
すごくしっかり者だったら、どんなにみんなの役に立つだろう。
頼りにしてもらえるのだろう。
「しっかり者ってたくさん必要なのかな?」という質問がどこからかやってきた。
「たくさんは要らないんじゃないかな」と答える。
そうなんだ、それは誰かにお任せすればいい。
きっとどんな人も、ただ存在することが何かの役に立っている。
そうだった、頭に上った意識をお腹に下げよう。
いろんなことを全体としてみることは本来苦手。
けれど、なぜか全体の流れを詳細を含めて理解することを求められる。
苦手な伝票処理、消費税もあるし何度計算し直しても不安になる。
作業の片手間にやっていたデータ入力も範囲が広がっている。
それでもまだパソコンに苦手意識がないことが救いだ。
お客さんとのやり取りも範囲が広がっている。
10年とか5年とか、長い間願ってきたことだった。
責任のある仕事をする。
自分で考えて進めることができる仕事。
自分の得意なことを仕事にする。
人に伝えていくこと。
新しいことを覚えていくこと。
たくさんの人と関わっていくこと。
それが誰かの為になることならば素敵だ。
言葉にするといろんな角度から見て今やっていることは願ったことの大半を網羅している。
なのに毎日帰りの車の中で凹む。
出来なかったことを振り返り、
対応を間違ったのではないかと自己嫌悪に陥る。
誰かの為になんて全くなっていないように思える。
それでも3年過ぎて、苦手な電話対応も何とか出来るようになった。
考えなくてもその時に必要な言葉が出る。
そんなふうに出来ることを数え始めたら横やりが入る。
「おそらく大きな会社では新入社員でも出来るくらいの範囲だろうけどね」って手厳しい。
一気に下降する。
いいじゃん!出来ているんだからって思えたらいいのだけれど、
直ぐに「ダメだね!」って言葉が心の中に浮かんできて刃物みたいにカチコチになる。
そんなに責めてばかりいる。
自分への暴言が続く、きっと気づいていない時も続いているのだろう。
誰かに対して嫌だなと思ったことは半日もしないうちに薄れてくる。
夕方になって「あのことだけどごめんなさい」と言われて何のことだか分からないくらいに忘れる。
人に対する嫌なことよりも、自分に対する嫌悪感の方が遥かに上回っているってことだ。
すごくしっかり者だったら、どんなにみんなの役に立つだろう。
頼りにしてもらえるのだろう。
「しっかり者ってたくさん必要なのかな?」という質問がどこからかやってきた。
「たくさんは要らないんじゃないかな」と答える。
そうなんだ、それは誰かにお任せすればいい。
きっとどんな人も、ただ存在することが何かの役に立っている。
そうだった、頭に上った意識をお腹に下げよう。
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