お月見

少しずつ太っていく月を毎日見ている。
毎日がお月見だ。
家に帰ってから部屋の中で、さっきみた月を思い出していた。
そうしたら、こんなメッセージが届いた。
「無理に前向きになろうとしたり、傷つかないふりをしたり、何かを取り繕って見せたり、そんな必要は何もない」という。
元気で明るい人でありたい。
強い心でいたい。
大人としてうまく立ち回れる人になりたい。
そんな願望がどこかにある。
真っ直ぐに正直であること。もうそれでいいじゃん!ってことなんだ。
そのかわり、それに徹して真摯な気持ちで取り組むことが必要になるだろうけど。

月はただ見る人の心によって響いてくる。どんなふうに見ようかなんて考えなくてもいい。
満月の日まで月の太っていく様子を観察しようと思う。

ゾロ目

最近ゾロ目の数字をよく見る。
今朝は555だった。
今まで5のゾロ目はあまり見たことがなかった。
いよいよ、何か変化を迎えるのか、はたまたただの偶然なのか。この行き詰まり状態からすると、前者の可能性が大きい。
変わる前は、恐れと不安が大きくなる。そのことをこれまでの経験で知っている。
想像しても仕方ないくらいに、新しいことは今まで経験したことのない事なのだろう。
想像より、ただゆったりと怖さと不安を受け入れる方がいいってことだ。

輝き

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スマホで撮ると豆みたいだけど、肉眼で見ると👀眩い光だ。
晴れた日の夜は、いつも月に見とれる。
夜の散歩も空ばかり見ている。
さっき公園で立ち止まって空を見ていてふと気づいたら、散歩中の知らない犬が🐕立ち止まって、ボーッと空を眺めていている私をじっと見ていてびっくりした。

とても遠くにあるのに生まれた時からあって身近なものの一つが月や星だ。
家族との繋がりは近くにあるのに遠いものだと感じてきた。
家族によらず、近くにいる人であっても、必ずしも近い関係でいられるとは限らない。
自分の輝きを信じる、それ以外に誰かに近くなる方法は見当たらない。

月と太陽の光から

昨晩は月の光、今朝は太陽の光が眩しい。
平日は太陽が昇る前に起きてしまうけれど、休みの日は太陽の光で目が覚める。
朝のボンヤリとした頭の中に「光と影」という言葉が浮かんだ。
人はそれぞれの見方があることについて、見ている方向が違うってことなんだと気づいた。
当たり前のことなんだろうけど、同じものを見ていても違うものに見えたりするのだろう。

先週「見ていて促してあげないと出来ないから」と言われ隣で見ていたのだが、全く問題なく自分で考えてやっていて「?」何でそう言ったのだろうと疑問に思った。私は隣に座っていただけで、本人がやっているのをただ見ていただけだ。
つくづく先生側の人ではない自分だ。「ああ、そういうふうにやるんだね」とやり方を見ている。
でも考えたら母親の役割の時には大いに口を出した。転ばぬ先の杖っていうやつだ。
その母親の役割から離脱し、そこは手放せて楽になったのかもしれない。

どんなことにも光と影がある。

月明かり

曇りガラスから強い明りが見えて、窓を開けるとそれは月明かりだった。
スマホカメラを向けたが、三日月はカメラの画面では歪んでボンヤリしてしまった。
足がヒンヤリするくらいの冷たい空気だ。
温かい誰かとの繋がりが恋しい季節になってきた。

1人になって1年が過ぎ、寂しさにも慣れてきたはずなのに、思い出が私を揺さぶる。
誰かと長い時間を過ごしたからこそ味わえる切なさだ。
切なさ、この感情を味わえることに感謝するよ。
何度でも「ありがとう」と心の中で伝えている。

誰かの輝き

とにかく役に立ちたい自分だ。
自信はいつもないけれど、それでも何かを誰かの代わりにお願いされることは嬉しい。
また、的確な指示を頂けると、スムーズに動ける。

誰かが輝けるために支える人になりたい。
ずっとそう願ってきたし、この先もきっと願っている。

進化していこうとしている誰かを見ているのはステキなことだ。
力があるのに同じ場所に留まっていてはもったいない。
充実した時間を過ごしているだろうか。
イキイキとした気持ちでいるだろうか。
大好きな人たちの輝きを見ていたいと思う。

楽園

大きな川と公園が近くにあり、たくさんの種類の鳥たちがいる。
家の中にいると鳥たちの姿は見えないのだが、鳴き声が何種類も聞こえることから、種類の多さを感じる。
川の音と鳥の声「まるで楽園だ」と思った。

土曜日の午前中は一週間の回想をしている。
誰かの言った言葉とか、態度とか、雰囲気とか。
意識がはっきりしていて、今日はキーボードのミスタイプがすごく少ない。
「大きな不安がない」と感じる。
昨日一つの完了を迎えて、頭の中でシュミレーションしていた整理整頓作業も取り組んだ。
物理的な物の移動は何か心の中にも影響を与える。

今週も、大好きな気持ちが溢れる一週間を過ごした。
誰かの言い訳を聞いていて、ある人の「言い訳は止めなさい」という指摘を思い出した。
その時は厳しい指摘だと感じたけれど、それによって軌道修正させてもらったことを今では感謝している。
そして、その方と私の関係性を支えてくれた人がいた。たくさんフォローしてもらって関係性を深めることが叶っていった。

助けたいと思いながら、その何倍もの助けを得ている。
今いる場所が楽園なんだ。
大好きな気持ちを持ち続けている限り、いつでもそこが私の居場所になる。

再就職の時のこと

十数年前の再就職。
15年も家に居て何も資格があるわけでもなかったから、がむしゃらに何でもやるつもりでいた。
夜も働くつもりで夜勤もある仕事を職安で申し込んだら、受付担当の方が「仕事はいくらでもあるのだから、家族と家に一緒に居られる時間も大事にした方がいい」と止めるように説得された。
がむしゃらに頑張る以外、自分にできることなんてないんじゃないかと自信を失いながらも、あの時「人と関わる仕事がしたい」と願ったことを思い出した。
まずはやってみたいことを短期間で試してみようと、申請受付業務の仕事の面接を受けた。
短期間だし、その後どうするかも不安だったけれど、この短期間の仕事で断られるようなら方向性を変えなくてはならないと覚悟を決めた。
面接の日、受付担当者の方が言ったことを今日ふと思い出した。今まで思い出すこともなかったのに不思議だ。
「あなたみたいな人に来てもらいたかったんです」という言葉、自信のない自分への魔法の言葉だったし、やっていけるかもしれないという自信をくれた言葉だった。
あれから幾つもの職場を転々としたけれど、考えてみれば否定する人がいたとしても、必ず認めてくれる人がいたし応援してくれる人がいた。
あらゆる力を持っていなかったとしても、助けてもらう素質だけはあるようだ。
あとはそれを自分が「助けてもらっていい」と認めるだけだ。
今もあの時も同じ。否定する人もいるし、「あなたがいい」と言ってくれる人もきっといる。

完了を見届ける

最近やっていた作業の納品。
雨の中トラックが着いて、玄関まで台車で移動した。
ドライバーさんが荷物が雨に濡れないように気を付けながら慣れた手つきでトラックの荷台に運んでいく。
トラックの造りによるのだろうけど、今日来たトラックは後ろも横も開く形で、初めて横から乗せるのを見ていた。
荷物を運ぶ作業を見ているのが好きだ、カッコいいなと子供みたいにワクワクする。
あっという間に積み込みが完了し、トラックは目的地へ向かっていった。

一緒に作業をしていない何人もの人が関わって動いている。
前回、自分の持ち場しか見えていないのではだめだ、大きな流れも意識しておくようにと指摘された。
荷物を受け取ることは毎日やっていることだけど、荷物を届けることはほとんどしない。
完了を見届けるのは玄関まで。
行った後にいつも少し不安になるが、もう次に進まなくてはならない。

今週末は完了を味わい、来週からは新しく始めよう。

何を変える?

どこから手をつけていいのか分からないが、何かを変えるタイミングがやってきている。
違和感や息苦しさは、そのサインだと分かっていても、何をどうしたらいいのかを考えることをシャットアウトしている自分がいる。
生命の危機に遭遇しないように、安全な同じ場所に留まることを求める気持ちが大きい。
冒険者として生きたい気持ちを持っていながら留まることは、苦しさを生み出さないわけがない。
さて、どうする?
まずは、直感を信じる。
意味のある偶然はどんどんやって来ているし、新たな出会いも目の前にいつだってある。

あっという間に木曜日

一週間が早い。そして今週も終わらないうちに来週のことを考えている。
それでも今週はよく眠れている。
平日の日報の持ち帰りを止めて、帰りに書いて帰るようにした。
家でやると寝る頃にならないとやる気にならないが、帰る前にやると時間は短くサクサク書ける。
帰りに残っているのはそのうち注意されてしまうかもしれないが、今はこのやり方が自分にとって負担がない。

やっとひと段落し、ホッとしたこともある。
まあ、常に突貫工事物がいつ来るか分からないので、今のうちに整理整頓につとめることにする。
どう動かすかは今日頭の中で何度かシュミレーションした。いろいろ自分で決めなさいと言われてしまった。
自分で考えて進めるしかない。

ラジカセ録音

子供の頃、CDも音楽プレイヤーもない時代、ラジカセでテレビやラジオを録音していた話をお昼にしたら、かろうじて頷いてもらえた。
「じゃあ、ラテカセは知ってる?」と聞いたら、知っている人がいなかった。
ラジカセは、ラジオとカセットデッキ。
ラテカセはラジオとテレビとカセットデッキ。
今考えてみると、笑ってしまうような合体で、昭和ってやるなぁ!と思ってしまった。

子供の頃に好きな音楽を何度も繰り返し聞きたい場合、テレビの歌番組を録音するか、ラジオ番組の歌のコーナーを録音するかどちらかだった。
もちろん、レコードを買うっていうのもあったけど、ステレオは子供の部屋にあるようなものではなかったし、レコードもなかなかのお値段だった。

まずはテレビからの録音。
歌番組で好きな曲の前に待機していて、始まる前の歌の紹介をじっと待ち録音ボタンを押す。
このやり方の一番の弱点は人の声や咳も音がはいってしまうところ。ただ今よりも歌番組が多かったから、このやり方だと好きな歌は録音しやすかった。
次にラジオからの録音。
ラジオから録音すると、電波の良しあしによって音が割れたりするのと、歌番組はテレビではやっていたけれど、ラジオはトーク番組の中の歌のコーナーだったから、なかなか好きな歌を録音することが難しかった。

ラジカセ録音のことから、テレビのチャンネルがダイヤル式だったこととか、ダイヤルの数字の途中に合わせるとそのチャンネルが見られるなど、技が必要だったことなどを他の人と一緒に思い出して懐かしく笑い合った。

高校生の職場体験の男の子は、MDからしか知らないという。音楽は鮮明な画面の出る音楽プレイヤーで聞いているし、音楽プレイヤーの中にはたくさんの好きな音楽が入っているらしい。
進化ってステキだ!と思わずにはいられないが、雑音だらけのラジカセ録音もそれはそれで味があったものだ。
我が子よりも若いこの子と共通点なんてないだろうと思っていたら、学生時代に盛んに聞いていた「オールナイトニッポン」は今でもやっていて、好きなパーソナリティーの人の番組を聞いているという。思いがけない接点だ、時間も昔と同じ1時から3時までらしい。
ラジオ番組とは内容はずいぶん違っているのだろうけど、夜中にラジオを聞くって習慣今でもあるんだって。
すごいなぁ、オールナイトニッポン!
地味な学生時代の体験もたまには会話の役に立つ時があるってことだ。

それにしても音楽はいい。同じ音楽を好きでなくても、音楽を大好きだった青春時代の自分が音楽好きに大いに共感する。

言葉はほんの一部でしかない

昨日、言葉以外のコミュニュケーションの方が遥かに大きいことを漠然と感じた。
言葉は交わさないが、何かが伝わってきた。
言葉でのやり取りももちろん大いに助けてくれている。
それ以上に、言葉以外の何かが入ってきた。
初めて会った時から、意識の及ばないところでのやり取りがあったのだろう。
同じ痛みを感じたことがある誰かと通じ合うことは容易なことだ。けれどもそれでは誰も助けることができない。
純粋な大好きな気持ちだけで繋がることができたなら、その痛みさえも乗り越えることができるんじゃないか。そういう自分になることを目標にしよう。

どっちがいいのかな?

自信がない私に、身近な人のアドバイス。
「自信があればいいってものでもない、自信満々だからって完璧なわけでもない。自信満々で出来てない人の方が問題だよ。みんな出来ないこともあるし、失敗もあるんだよ。だからその時は謝って、また次から頑張ればいい」

「私が居なければ人を怒らせることも無い。居ない方がいいんじゃないか」という問いには、
「怒るのは、怒りやすい相手だからだし、みんなの分も一手に集めて怒っているってことだから気にするな」と言う。

自信のなさと、居なくなりたい気持ちを聞いてもらって泣きそうになってしまった。
思った以上のいっぱいいっぱいの状態だ。

自信のなさは物心ついた時からだけど、自信はあった方がいいとずっと思って生きてきた。

はたして、自信満々で出来てない人と、常に自信がない人とどちらがいいのだろう?
そして、世の中にその両者が存在するというのは、どの時点で二手に分かれたのだろう。

書いてみると客観的になれる。
そして、気もちたちも、その間は大人しく待っていてくれた。

どちらの気持ちも、その人なりの理由があって存在している。
どちらがいいかなんて選べるはずはない。
背景の違うそれぞれを天秤にかけることはできないからだ。

探し物が見つかった

先週なくした書類が今日出てきた。
全く思ってもいない場所に挟まっていて、その時の自分の行動を思い出した。
混乱の中にあり、先に進めることしか考えられなくなっていた。

不安とともにいて、自分が常に失敗する人間だと思っている。
その恐れが失敗を招くことに気づいてはいるのに。
ブラックホールを作っているのも自分で、最低の評価を下すのも自分だ。

それでもこの探し物が見つかったことで、まだ運には見捨てられていないと感じることが出来た。
なぜか運だけはいい。
最悪の結果を何度免れたか分からない。
というよりは、最悪の結果を想定するような場面でない時にでも、最悪の結果を想定しているってことかもしれない。

人が怖い気持ちが強くなっている。
一番信頼したい人さえも怖いと感じる。

思い直しのチャンスではある。
あの時と同じだと思う場面は数えきれない。
最初の怖いから、最近の怖いまで。
誰かの言葉に一喜一憂する自分を見守る。

感謝の嵐

朝の車の中で、いつもならの昨日の反省会が頭の中で始まる。
けれど途中で頭が切り替わった。ただもう「ありがとう」という言葉があふれてた。
どこから来るのか分からないが、そういう自分で生きていられることがありがたくて、ただただ感謝の気持ちになった。
昨日の失敗は迷惑や不快な気分を相手に与えたけれど、そこから受け取りたいものがあったのだと思う。
いつも背景が気になっている。そのことは、いいことでもあり、困ったことでもある。

感謝の嵐

朝の車の中で、いつもならの昨日の反省会が頭の中で始まる。
けれど途中で頭が切り替わった。ただもう「ありがとう」という言葉があふれてた。
どこから来るのか分からないが、そういう自分で生きていられることがありがたくて、ただただ感謝の気持ちになった。
昨日の失敗は迷惑や不快な気分を相手に与えたけれど、そこから受け取りたいものがあったのだと思う。
いつも背景が気になっている。そのことは、いいことでもあり、困ったことでもある。

ずっと川の音がしてる

大きな川が直ぐ近くを流れていて、夜窓を開けると川の流れる音が聞こえ続けている。
時々車が通って、川の音をかき消していく。
けれど車が通りすぎると直ぐに音が戻ってくる。
場所によって音は違うけど、長い事住んでいる場所の音は安心する。
目をつぶると音はもっと鮮明になり、川のそばに立っているような気持にさえなる。

今日の失敗も、明日への不安も水に流そう。

ふわっふわふわ

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秋の雲って、ふわっふわふわ。
こんなふうに、ふわふわの心になれたらいい。
昨日からの宿題も心を重くするけど、せめてふわふわの部分を残して過ごそう。
重くするか、軽くするか、どっちでもいいんだけどね。
自転車に乗った高校生が大きなあくび。
高校生もお疲れのようだ。いやいや、私よりも高校生の方が大変に違いない。
今日も大切な1日を過ごしている。

本能的に自分を守る

攻撃ではないけれど、本能が攻撃と判断した時、次に相手に会った時に警戒するらしい。
あからさまにその反応が出てしまい、怪訝な顔で指摘されてしまった。
心の中が駄々洩れらしい。

しかしながら本能は大切なものだ、動物なんだから当然だろう。
野生で暮らしてはいないが、ある意味では草食動物同様、早く察知して逃げることも必要だ。
どんなに変な様子に見られようが仕方がない。

進化の過程で二足歩行になり、背中や首の痛みに苦しみながら人間は生きている。
本能を失うことでストレスに弱くなってしまうのではなだろうか。
違和感を無いものにしたり、大丈夫なふりをしたり、本能を否定してしまえば、何らかの歪は起きるだろう。

自分を大切にする。その自分てどの部分のことを指しているんだろう。
野生の自分を残しつつ、この世界を楽しみたいと思う。